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20周年記事⑤ 20年活動してきて思ったことあれこれなお話 その5

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今回はその続き。

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2009年~初めてイベントでCDを出すお話

M3という音楽同人イベントを知る

あれこれちまちまと曲を作りつつ、日々を過ごしているうち、旧友との再開の際に音楽同人イベントの存在を教えてもらいました。
それがM3を初めて知った瞬間でした。
当時の私は同人イベントがどういう場なのかを良く理解しておらず、それこそそういったイベントはコミックマーケットという存在くらいしか知らず、コミックマーケットもまた具体的にどういう場なのかを理解していませんでした。
アニメもゲームも好きですしオタクだぜって言いたいところですがイベントなどで活動している方々からすれば「てめーがオタクを名乗るな」と言われるくらいの偏った知識でした。

聞けば、M3はコミックマーケットと違い、音楽に特化した同人イベントだということ。
イベントでは作家が自由に作品を発表するということ。
発表する作品はどうすればいいのかと聞けば、それも自分で考えて自由に作るのだということ。

清水、衝撃。
ちょうどこの頃にはCDとか出したいなーなどと、あれこれ思うようになっていました。
が、作るにしたってどうやって作るのだとか、どこで発表するのだとか、全く検討がつかずにうだうだしていた頃でした。
それが、自分で自由に作って、こういった場で自分で発表するという手段があるというのに感動を覚えました。

M3を知った当時2009年、もっとも盛り上がっていたジャンルは初音ミクなどのボーカロイド、そして東方Projectだったと記憶しています。
一度春に一般参加としてイベントに足を運んだのですが、そういったジャンルで半分ほどが埋まっていたように思います。
その頃M3は蒲田にあるPiaという大きめの体育館の1~2階で行われていました。
入場までに数百メートルの行列、それで入場できたと思えば歩くのも困難レベルの人人人の嵐。
そしてテーブルの上には各サークルの作家さんたちが作り上げた作品の数々。
すごい光景でした。
こんなにもたくさんのクリエイターが自由に作品を作って発表し、こんなにもそれを求めて買いにくる人たちで溢れている光景。
すごい熱量でした。

そこで自分も作品を出したい……と思うようになり、次の秋の参加を決めました。
応募し、参加確定でスペースもいただきました。

初同人イベントM3参加、アルバム作りへ

初めて参加したイベントで作り上げた作品はふたつ。
全て自作のピアノソロ作品でまとめたアルバム「Spilled wine」、東方紅魔郷のボス曲をピアノアレンジした「紅魔館にピアノなんかあったっけ?」。
全てピアノ曲でした。
初めて作った楽曲がピアノソロで死ぬほど苦労した時の教訓を全く活かしていません。
死ぬほど苦労しながらピアノソロを作り上げていきました。
自作アルバムに関してはヒーリング系に取ったしたゆっくりと聴ける作品に、東方アレンジに関しては割りと尖った方向でのアレンジに。
東方は当時結構ハマっていて、紅魔郷に関しては音楽がとても好きでした。フランドールのU.N.オーエンは本当に燃える楽曲だなと今でも思います。

この時、課題になった点がいくつかありました。

  • ひとつに、そもそもCDをどうやって完成させるのか。
  • ひとつに、印刷物をどうやって印刷するのか。
  • ひとつに、ジャケットのデザインをどうするのか。
  • ひとつに、作ったとしてどうやって宣伝するのか。

上記2つに関しては、個人でもCDを制作できる業者があることをこの時初めて知り、それで解決しました。
本当にこの時はそういうものを何も知りませんでした。
人によっては空のCDに自分で手焼きをし、ジャケットも自分で印刷しカット、組み込みも手作業とやっていくというお話も聞きました。
が、せっかく初めて作る作品だし完パケでやったろ!という感じでしっかりと形にしました。
ちなみにフル完パケで作ったのはこのときが最初で最後です。そういうことです。はい。

3つ目、ジャケットに関しては本当に悩みました。
自作アルバムに関しては写真を用いて解決。
しかし東方に関してはなかなかそうもいきません。
春参加して思ったのは、ジャケットってとても大事なんだということ。
特に東方のようにキャラクターが前に立つ作品ならばなおさらです。

悩んだ結果、自分で絵を描くという凶行に出ました
どうしてそうなったのか。

当時お下がりのペンタブを持っていたため、ちまちま趣味で絵を描いておりましたが、落書き程度でちゃんとした作品など仕上げたこともなく。
まして色塗りがとても苦手な上、構図やらあれこれなど全く知識もなく。
なのにやると決めた以上、自分で描き始めました。
確か3~4ヶ月かかっていたように思います。
絵の訓練に一ヶ月、線画を仕上げるだけで一ヶ月、色塗りで数ヶ月……そんなレベルで試行錯誤していました。

この頃、mixiで知り合ってからあれこれ仲良くしてくださっていたつばさくん氏に、同人についてあれこれを聞きつつ、ジャケット絵に関してもあれこれアドバイスをもらっていました。
つばさくん氏は当時から今でもM3で清水のブースで売り子をしてくださっている方です。
当時ならこんな清水の無理難題を生暖かい目(?)で見守ってくださっていました。

そして、なんとかジャケットを完成させることができました。
当時の絵なのでここに貼るのは恥ずかしすぎるのでやめておきますが、当サイトのどこかに情報はあるので興味がありましたら探してみてください。
ラフならまだ見せられるレベルです。

ここまで描くのに一ヶ月以上。

そして残る課題は宣伝方法。
この当時はまだTwitterを始めておらず、宣伝は自サイトベースでした。
とにもかくにも、アルバムの紹介ページを作ろうと、必死にページを作成しました。
当時は自分でHTMLを書いてページを作っていました(当時と言うものの2020年頃までずっとそうしていた)。

ほぼ個人活動をしていた私がどうやってアルバムを知ってもらうか、ここはなかなかに悩みました。

イベント直前の日くらいに

つばさくん「そういえば嶺さんPOPとか用意しました?」
清水「POPって……何?」
つばさくん「え」
清水「え」

……という会話をしたのを今でもネタで笑っております(なんとかした)。
POP:当日の宣伝用のポスター、値札、その他諸々の素材

そうして迎えたM3-2009秋。
清水は同人イベント初参戦をなんとか無事迎えることができました。

この頃はこういう場で直接やり取りをするような音楽仲間はほぼおらず、M3会場でも見知った方との邂逅も限られており、終了後の打ち上げもつばさくんと二人で居酒屋でゆっくり過ごすような感じでした。
これは2~3年近くそうだったように思います。
当時、SNSなどで様々なコミュニティに参加をしたりはしていましたが、音楽としての活動はほぼ個人的な活動だったと、今思うと改めてそう感じます。

曲を作り続ける日々

それからは毎年、M3に参加するようになりました。
そして仕事ベースでの活動もちらほらですが、こなしていました。
ゲーム作品のBGM制作や主題歌制作などをメインでやっていました。

そんな中、2012年から携わり、楽曲制作をしていた「お伊勢さん」は今でも良い思い出です。
三重テレビ放送制作の番組で、前回の記事で書いた2005年から続いている「時を紡いで」シリーズ同様、伊勢神宮に関わる番組です。
お伊勢さんは2013年に行われた伊勢神宮の式年遷宮を記念して制作された番組で、その音楽を担当することとなりました。
これは私の中でもとても良い経験でした。
実際に伊勢をあちこち案内していただき、資料館なども訪れ、伊勢の街を練り歩きました。
そうした中でずっと頭でどんな曲にしようかと考えていました。
番組は2013年1月にスタートし、10月の式年遷宮を迎えるまでの合計10回の内容でした。

本当に良い機会を与えていただいたと、そう思います。

お伊勢さん番組公式サイト

2012年に年間作曲数が100曲を超えたのも覚えています。
色々な方向で色々な曲を作る機会が増え、奮闘している時期でした。
ただ、清水としての活動にならないようなものをそれなりにあるため、なかなか個人活動としての難しさも感じる時期でもありました。

落ちてしまった楽器沼

落ちてしまいました。
前回の記事であんなことを書きましたが、落ちました。

出会ってしまったのです、あの楽器に。

ハングです。
この動画を初めて見た時の衝撃を今でも覚えています。

このフォルム。
この演奏スタイル。
この音色。
あまりにも衝撃すぎる動画でした。

当時はハングドラムと呼ばれ、その後様々なメーカーから類似の楽器が出回るようになり、今はハンドパンと呼ばれるようになった楽器です。
※ハングはPanart社が制作した楽器のみの呼称。

これを見つけた当時はまだ「ハーディーガーディー欲しいなぁ」と思っていた時期でしたが、一転。
ハングを本気で欲しくなりました。ええ、本気で欲しいと思ってしまいました。

あれこれ調べましたが、どうにも簡単に手に入る楽器ではないことが分かりました。
当時はショップに並ぶようなものではなく、メーカーへのオーダーが必要で、しかもそれも何年待ちと、そういうレベルの楽器でした。
日本では類似したカイサドラムというものがとある楽器屋で買うことが出来ましたが、こちらも順番待ち。

しばらく途方に暮れていましたが、しばらくして、京都の楽器屋さんで購入することができると知り、すぐさまコンタクト。
そうして手に入れたのが、Bali steelでした。

値段は聞くな

類似品のため、オリジナルとそれなりに違いのある楽器です。
それでも叩いて演奏していると、時間が延々と溶けるくらいに魅了される楽器です。
癒やしの音色です、本当に。

そして、これを手に入れた直後くらいに同ショップで、イスラエル製日本人作のハンドパンが並んでいるのを確認。
メーカーに問い合わせると「時間もらえればオーダー可能」とのこと。
オーダー可能とのこと。

……。

値段は聞くな

約一年の間の出来事でした。
超低音のAが出るハンドパン、Live-metal artのハンドパンです。
初めて叩いた時の感動が本当にすごかったです。
乗せた足に、腹に響く音色。
自分が叩いていると思えないくらいの美しい音色。

本当に素晴らしい楽器です。
悲しいことに現状まで自分の楽曲に活かしきれていないのが難点です……。

この後もハンドパン系が増えたり減ったりしていますが、長くなるので以下省略。
とんでもない沼にハマってしまいました。
しかし満足しているので全てOKということにします。

楽器に関しては笛もそれなりの数、手にしました。
巴烏、篠笛、インディアンフルート、etc...。
値段はそこまで高いものではなく、10,000円前後で手に入るものばかりです。
気がつけば沼です。

日に日に変わっていく音楽事情を必死に追いかけてあれこれ試行錯誤する。
そんな日々だったように思います。
おそらく、それは今も変わってないのではないかと、そういうふうにも思います。

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