前回はサイト開設後から活動初期の事を記載しました。MIDIとmp3の入り混じった時代のお話。
今回はその続き。
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20周年記事② 20年活動してきて思ったことあれこれなお話 その2
前回はサイト開設の黎明期の頃をあれこれ記事で書きました。 今回はその続き。 前回の記事 2002年~ 曲作りにのめりこんだ学生時代のお話 神との出会い 宗教勧誘 ...
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2004年~ 専門学校時代のお話
専門学校へ
ご存知の方はいるかいないか、清水は専門学校に通っていました。
音楽に関する専門学校です。
以下は当時の在学中のことメインの、完全に清水個人のお話。
音楽に関する事全般をもっと学びたいのも然り、MIDIやその他PCで制作する音楽作りに関しても無知を抜け出したい、と、そういう思いでした。
音楽もコンピューターでの制作も両方学べる、そういう所に行きました。
行ってみて、無知を痛感しました。
音楽面は、3歳頃から続けているピアノや短いながらも楽曲制作をしてきた数年のおかげで、序盤は問題ありませんでした。序盤は。
コンピューター関係があまりにも理解出来ず、ヒイコラしていました。
今でこそ、正常に動かなくなったPCの修復やらパーツ交換やら、あれこれ出来るようになりましたが、当時は本当にコンピューター関係は無知でした。メモリやらCPUやらの違いもよく分かっていませんでした。
そんな人間が突然目の当たりにした、いわゆるレコーディング環境や制作環境の機材の数々。
テレビで見るようなスタジオがあり、幾多ものツマミがズラリとならび、防音室があり、マイクがあり、ケーブルが川のように繋がれ……。
清水、感動……と思いきや、このときの清水、まさかの拒絶反応。
あまりの異次元すぎる設備が突然目の前に現れて、近づいたらヤベェぞここは、と震え上がって固まっていました。蛇に睨まれた蛙。
MUZIEへ進撃
新たな環境に怖気づいてばかりもいられません。
意を決してこの道を選んだ以上、そんなんではいけないと、まずは怖くて近寄っていなかったMUZIEへの登録を決めました。
思えば何をそこまで怖がっていたのだという感じですが、アーティスト登録をし、楽曲の登録も行いました。
今となってはメジャーでお名前をよく聞くあのお方やあのお方が常にランクトップにいるあの環境で、私は端っこでちまちまと曲の投稿をしていました。
そんな私でしたが、たった一度だけ、MUZIEの新着ランキングで一部のジャンルでトップを取ったことがありました。
ほんの一週間ほどのことでしたが、あの時は本当に嬉しかったものです。
はじめてのろくおん
専門学校のとんでもない環境の中で、私は初めて自分の曲に録音した楽器や歌が乗る体験をしました。
時にバラードを優しい爽やかな歌声で歌い上げてくれたり、時に静かで優しめだった楽曲を力強いソウルフルなアレンジで歌い上げてくれたり。
個性の強い仲間たちがたくさんいました。
また、講師の方にベースを弾いていただいたりもしました。
某有名なアメリカの音大卒の方で、プロのベーシストの方でした。
自分の曲を在学中に数曲演奏していただきましたが、基本的にまずはコード譜を求められ、渡すとその場ですぐ演奏してくれる……というあの状況に私は脳がついていきませんでした。
余談ですが、当時の私にはコード譜を書くなんて技術が無かったので、友人にお願いしていました。正直今でもちゃんと書けるのか謎です。コード譜ってなにそれおいしいの。
はじめての音源購入
校内にはスタジオ以外にも様々な機材が充実しており、作曲面ではかの有名なSC-88proも完備してありました。SC-88で楽曲を作ることが出来るという事に、清水大感激でありました。
かの有名な方のMIDIを読み込み、「うほぉすげぇ本当にあの音が鳴るぅ!」とかやって遊んでました。曲作れ。
それと同時にMIDIキーボードというものがあり、鍵盤を叩くとPCで選択中の音色が再生させるというあの仕組みにも清水大感激でありました。
鍵盤叩いてるのに笛の音が鳴る……弦の音が鳴る……。
この時に、私はキーボードを買うことを決めました。
音源も欲しかったのですが、なにより鍵盤が無くては曲作りが出来ない自分にとっての必需品だと感じました。
当時買った鍵盤が、ROLANDのXV-88。
鍵盤のタッチがピアノに近いハンマアクションが搭載されていたこのキーボードを選びました。
中古で10万を切る価格でした。
それでも当時の私にとってはかなりの大きな買い物でしたが、これがまた思いもよらぬ幸運がありました。
良く電子ピアノにはスイッチひとつでピアノになったり電子ピアノになったりという音色変更機能がありますが、XV-88はとにかくその音色数が多いということに感動しました。
とてつもない数の音色が鳴らせるのに感動もしましたが、鳴る音色全てがとても魅力的で、しばらくはこの鍵盤をおもちゃに、ずっと弾き倒していたように覚えています。
しかし、この時私はこう思っていたのです。
この音色、楽曲制作にも使えたらいいのになぁ……、と。
そう、この時清水は良く分かっていなかったのです。
XV-88には、XV-3080相当のハード音源が搭載されているということに、そしてそれが自分の制作環境に活かせるということに。
その後、あれこれ試したり調べているうちに、CHERRY(当時まだ使っていた)でもXV-88内部の音を操作できる事に気づき、清水大歓喜。
VSC以来の制作環境の大幅パワーアップでした。
当時特に感動した音色と言えば……
まずギター。みんな大好きベロシティ(音量値)最大の「チュイーン♪」ていうあれ。他にもベロシティの値で途中で音色が強弱で切り替わる細かい調整が出来るのは感動でした。
あとピアノ。私が鳴らしたいピアノってこういう音やねん!という感じのなまなましいピアノの音色でした。
あとストリングス。ピチカートやスピカートなどのキレの良い発音もちゃんと収録されていました、
当時からこういったアコースティック音源に目が行くことが多かったように思います。
音源としては使用期間は割と短かったですが、鍵盤としては長く愛用していたXV-88。
この音色でこれからしばらくやっていけるぞ!
……と、この時は思っていました。
割と早い段階で次のジェネレーションがやってきました。
KONTAKT、HALIONとの出会い
当時校内で主流だった音源はSC-88Pro、もしくはSD-90でした。
私も在学中はずっとそれらの音源にたより、加えて自宅のXV-88で曲を作っていました。
が、2005年に転機が来ました。
校内の作業PCのうち、数台だけ実装されたKONTAKT2、そしてHALION。
そのPCを使ってみてはどうかと講師に誘われ、良く分からないままに説明を受ける。
どうやらSC-88などを使うのではなく、PCの中で音色を読み込み、鳴らす仕組みのようです。
その音色を聴いたときの衝撃たるや、驚きのレベルを超えていました。
キーボードを叩いているのに、なまなましいを超えて生音にしか聴こえないピアノの音色。色々と調整してくださったのもありますが、ホールの真ん中で鳴っているかのような残響音。
凄すぎて「え、なんぞ、なんぞこれ、え、やば、え、なんぞ」とか語彙力皆無になっていたに違い有りません。今も語彙力ないけど。
説明を受けて、なんとなく理解をしました。
本来SC-88のようにハードで音色を用意して処理するものをPCですることで、PCが許す限り高音質、大容量のものを扱えるということで。
この時読み込んだピアノ音源は、おそらく私がXC-88に装着した拡張パッチひとつの容量よりも遥かに大容量の音源だったのだと思います。
そしてこの時に、いわゆるエフェクトのあれこれを知りました。
リバーブは0~127の数値だけじゃなく、リバーブサイズ、タイム、アタック、様々な値で調整をする。ディレイも然り。
イコライザーという音を整える作業、コンプレッサーという音圧を調える作業、その他……。
確かその他の授業であれこれ講義があったはずなのですが、拒絶反応を起こしてて全く頭に入っていませんでした。
それらは今までやってきた事が通用しない世界でした。
なにこれこわい近寄らんとこ。
……と、思いましたが、音色の素晴らしさに惹かれたおかげで、その後は拒絶反応はなく、むしろ全力で学びにいきました。
感動した清水、実装されたその数台のPCのうち1台を常に占領していました。
これが、いわゆるVSTとの出会いでした。
VSTの導入
このVSTを自分の環境にも導入しようと思いました。
すぐさまあれこれ調べました。
そして愕然としました。
高い。
高すぎる。
KONTAKTやHALIONが単体でも結構なお値段、そしてほしい音色はその他別途で購入して扱うとのことで、それぞれの音色がまたお高い。
ほしい音色全て買おうとしてたらMIDIキーボード買うとかそういうレベルじゃない出費になってしまう。
当時は、ドラゴ○○ールかってくらいの音色のインフレ具合でしたが、同時に要求される金額もまた○○ゴンボールかってくらいのインフレ具合でした。
それでも、あれだけの音色が鳴らせる環境です。
生演奏のような豊かな音色で曲が作りたいという、初期の頃の欲求が十分満たされる良質な環境を、私はどうしても欲しくなってしまいました。
そこで、ひとまず必要最低限のものを購入しました。
まずはピアノ。清水の命とも言える音色です。
当時買ったのはSteinberg製の「The grand2」。しばらく主力として使い続けた愛用のピアノ音源となりました。
そして同じくSteinberg製の弦楽器の音源「Strings Edition2」。
とにかく楽曲の中で使用頻度の高いこの2つは妥協すまいと、この2つを選びぬいて入手しました。
同時に、ここで初めて自分の制作環境にシーケンサー……今で言うDAWの「CUBASE」を取り入れました。
現在に至るまでずっと使い続けている愛用のDAWです。
これがKONTAKTに出会って数ヶ月と経たない間の頃のこと、キーボードのXV-88を買ってから数えて一年と経たずの間の頃のことでした。この短い期間で、制作環境が大幅に変わっていきました。
悲鳴を上げるPC
良質な音色を鳴らせる環境が僅かながらも整いましたが、大きな問題が発生しました。
パソコンが音源の性能についていけないのです。
今まではXV-88が全てを処理してくれていたものを、今度はPCをが処理せねばならぬのだから当然です。
しかも読み込む音源は単体でも相当な容量を食う弦とピアノの音源です。
ピアノ1台読み込んだだけでも悲鳴を上げるPC。同時に弦を読み込もうものなら、曲作りがまともに出来ないほどに重い状態になってしまいました。再生ボタンを押すたびに数秒フリーズ、再生中に「もうむりぽ」と言わんばかりに音色がガガガガガガ・・・とまともに再生されない、あげくのはてにブルースクリーン……、そんな日々でした。
音色が良くなった反面、作業環境が劣悪になってしまい、それでは元も子もない。
なのでPCの新調を決めました。
実は専門学校へ入ってから早い段階で一度PCを新調していたのですが、それから一年ほどですぐに新調することになりました。
今まで使っていたPCは別途普段使い用に。
新しく新調するものは作業用として。重くなる原因を消し去ろうと制作環境以外のものを何も入れない、完全なる作業PCとして作りました。
そう、この時はPCを自分で作ったのです。
高校時代の教師の一人がPCにとても詳しく、縁あってしばらく交流があり、PCの相談を持ちかけたらPC制作に協力してくれたのです。指導のもとパーツ選びから組み立てまで行いましたが、確か徹夜して次の日の昼まで組み立てやセットアップをしていたのを覚えています。あの頃は若かった……。
ですが、おかげで完璧とまではいかないですが、ピアノや弦の音源を読み込んでも耐えうる環境を手に入れることができました。
そしてこの作業のおかげで、私はだいぶPCに詳しくなれたというか、理解が深まったというのがありました。
かなり良い経験でした。
在学中のコンテストにて
当時、在学中に必ず行われる楽曲のコンテストがありました。
審査員長が某有名な音楽プロデューサーで、コンテストで受賞するとさまざまな特典があるでぇ!と言われ、清水奮起。
この機を逃すまいとかなりの時間をかけて制作をしていたのを覚えています。
ああでもないこうでもないと作り直すこと数週間。
メインテーマが決まったはいいものの、そこまでの展開が決まらず数週間。
講師の方にも「テーマは良い感じだから、そこまでの道筋が重要だ」と言われ、悩んで悩んで悩み続け、出した結論がサビ始まりでした。テーマを冒頭に持ってくるというやつです。講師に「大胆やな……」と言われました。
ただ、そのあともそのテーマに合う続きがなかなか作れず。
結局2~3ヶ月かかっていたと思います。
締め切り間際に高熱を出して倒れてても曲を作り続けるみたいな、割と本気で命削るように曲を作っていました。
あの時が、おそらく人生で一番曲作りの勢いが凄かったように思います、今では考えられぬ、今やったらたぶんしぬ。
そうして仕上がった楽曲に「俺がベース弾いてやる」と、講師のベーシストの方がめっちゃくちゃカッコイイベースを弾いてくださいました。楽曲に超絶ブーストが入った瞬間でした。
そうして仕上がった楽曲はコンテストで最優秀賞をいただきました。
2020年にもリメイクして公開した「創世録」という曲です。
創世録
※過去の作品 様々な地方の民族楽器を使用し、ストリングスや太鼓を主体とした力強いバックでまとめたニューエイジサウンド。 コンテスト用で作成した作品。
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この曲がその後、本当に様々な出会いを生んでくれたのですが、それはまた後の話。
そんな専門学校時代のお話でした。
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